マナーを考える

  • マナーの猫

電車男の紹介をしていたTV番組王様のブランチ|TBSテレビで、今週の視聴率ベスト10をやっていたのでついでに見てしまった。
学校へ行こう」という番組の中の「マナーの猫」というコーナーがあったらしい。
芸能人のマナーを評価すると言う内容で、ホンの短い時間内での紹介だったのだが、評価する先生方の態度に腹が立ってしまった。

  • 何故腹が立つのか?

その先生方は、タレントの冠婚葬祭の席においての無作法を呆れ顔で眺め、
「何しに来たんですか、あの人は!?」とか、
「あ〜あ〜あ〜!!!」などと、
と見苦しく野次っていた。
TVに良くあるヤラセかも知れない。
が、冠婚葬祭や、フランス料理等の一番の目的は、そこに列席する事やそこで楽しく食事を摂る事であるべきである。
その席にわざわざお越し頂いたゲストがその作法を知らなかったからと言って、罵ったり、蔑まれたりする覚えは無い筈である。
ヒトにマナーを説く人間が、TVという多くの人間が見ている中で、傲岸に野次を飛ばしている態度に腹が立つのである。

  • 掏り替わるマナーのイミ

それでは、彼らの説くマナーとは、一体何を指しているのだろう?
恐らく、礼儀作法の事を指していると思われるが、彼らの理論の中で「マナー=礼儀作法」から「マナー=礼儀」に掏り替わってしまっているのでは無かろうか?
そうなると、センセイ方が顔を真っ赤にして、他人を罵る理由が分かる。つまり、「マナー知らず=礼儀知らず」になってしまっているのである。
「無作法=無礼」の様に感じるのであろう。

  • 商売人の立場から

穿った考えを述べると、センセイ方は、もしかすると、「マナーも知らない人間は、こんなに程度が低いんですよ。知らないと恥を掻かされるんですよ。彼らみたいにネ...」と、言いたかったのかも知れない。
そのコトバの裏には、「だから、私の言う通りにしなさい。お金を払ってね、フフフ...」と言う無言の圧力があったのかも知れない。
他人に無礼を働いて置いて情けない。カネの亡者である。

「マナー=礼儀」が全てとなると、マナーさえ守っていれば、大丈夫とばかりに、言っているコトバは丁寧なのだが、態度が伴わない人間が出て来る。
着物の展示会などで、こちらが買わないとなると、とたんに態度が変わる販売員とか、電話でセールスを行う販売員(こちらは、時々コトバ使いも変る)とか、高級クラブのママとか、etc.,
口から出て来るコトバは丁寧なのだが、無礼なので、慇懃無礼と言う。

  • マナーとは?

マナーとはそれが、「礼儀作法」であるならば、他人と交際する上で、相手に対し無礼でない範囲であれば、知らなくても然程目くじらを立てるものでは無いと思う。
(そもそも、流派が分かれている時点で絶対のモノ等は無い事に気付くべきである。)
勿論、知っていれば、それに越した事は無い。
然しながら、上記に長々と述べて来た様に、マナーのイミが掏り替えられ、それが絶対となると、無礼が罷り通る事となってしまうのである。
本来のイミから外れ、商業至上主義に陥った結果が上のセンセイ方の見苦しい態度なのだ。
いや、待てよ・・・、もしかしたら「反面教師」という痛烈な皮肉だったのか? まさか・・・

  • お隣りのご意見

同じ思いをされている方がいらっしゃる様なので紹介します。
マナーの正体http://textlife.tea-nifty.com/cha/2004/08/post_6.html